こちらで 知事公館 を記述
下草は綺麗に刈られているので、木々の間を歩くことができる。暑い、陽射しの強い日は最高だ。明治のころの水路がそのままの形で保存され、当時を想像することできる場所の一つだ。
旧琴似川の源流の一つ。自然に水が湧く泉だった。この泉、アイヌ達はメムと呼び、その湧き水の周りに暮らすことで、例えばサケが海から遡ってきて、そこで卵を産むと死ぬ。それを拾ってチセ(家屋)の囲炉裏の上に吊るせば旨い「トバ」になる。住宅ががそのまま燻煙庫だった。
縄文のころ迄に豊平川が運んだ壮大な土石流が札幌の扇状地を作った。この先端は砂礫の下を潜ってきた伏流水が湧き出す。知事公館の裏庭で一件平らな扇状地の砂礫を湧き水から始まった川が削った、意外に深い溝ができていたのが分かる。
ニセアカシアの花が咲き、甘酸っぱい森林の匂い。「なに、高山にいったような森の匂い」と東京からきた若いお母さんは息子のベビーカーを押しながら上機嫌。
「これはアカシアですか?」また白い花を見つけた人がいる。そのとき誰も分からなくて、札のかかった同じ木をみつけるとハクウンボクと書いてあった。歩いている人みんな、どんどん勉強家になってゆく。
「イチイって一位って書くんですね」
「北海道でイチイはオンコって呼ぶ人が多いですよ」
「赤い実、とって食べましたね。子供のころ」
街路樹でもナナカマド、ハルニレなど、平地で大木になった木々を観る。
「私は高山で背の低いのしか見たこと無いです」
「札幌のこの辺の土、肥沃で、保存されているものは大木が多いです」
庭に植えられた梨は、かつての養蚕や果樹の栽培、水はけの良い扇状地の土地利用を物語っている。ちょっとした植物園だ。
「知事公館の隣に、近代美術館があって、敷地に三岸好太郎美術館があって、安田侃の作品や、本郷新の作品が野外で見られるっていいですね。本郷新の作品はもっとないのですか?」
「ちょっと離れますが、大通公園の西3丁目には泉の像という三体の踊り子の像があります。この近くですと、北1条西13丁目のuhb、北海道文化放送の前に躍進と讃歌があります。大通公園には、本郷が弟の様に愛した彫刻家の佐藤忠良さんの作品、若い女の像が大通公園の終端、西12丁目にあります」
※ここでの話に出ていない札幌都心の本郷新の作品は、札幌駅南口の「牧歌」、北海道庁庭園の「北の母子像」、札幌グランドホテルのロビー北側の「レッスン」、北海道銀行本店の「ライラックをかざす乙女」、すすきのの喫茶店さんローゼに「裸婦」がある。また、宮の森の彫刻美術館とその周辺に数点の野外彫刻がある。
森の東の端にはクマイザサの群生がある。
「え、クマザサではないの?北海道の笹は熊笹だと思っていました」
「実はクマザサは本州のもので、フチが隈取りしたように白く枯れるので隈笹っていうんだそうです。北海道の笹は一つの節に九枚の葉がついている九枚笹が森林の下草の半分くらい。あとは私達が筍と呼ぶ、大人の指よりちょっと太い位の小さな新芽が美味しい千島笹が多いんです。千島笹は北海道のひとは”根曲がり竹”と呼んでます。九枚笹のことを、よく皆さん、熊笹と仰るので、そのうち熊笹になっちゃうかも」
知事公館の裏庭は、ベビーカーや革靴で歩ける明治の札幌の地形、北海道の植物。野外彫刻を知ることのできる貴重な空間だった。
(マッピングパーティin札幌 2014年6月7日 記)
以下引用 http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/tsh/koukan/yurai.htm
現在の知事公館の敷地一帯は、明治8年(1875年)、開拓大判官松 本十郎氏が酒田県(現在の山形県)旧鶴岡藩士族156名を札幌に招へいし、荒野の開墾に当たらせ桑苗を植え桑園を経営した跡で、現在も、ここから北側にか けては「桑園」(そうえん)の地名で呼ばれています。
明治25年(1892年)ころ桑園は分譲され、知事公館の敷地は開拓使に奉職していた森源三氏が官を辞めてこれを購入し、邸宅を設け自ら養蚕に従事しました。
大正4年(1915年)、この敷地と邸宅を三井合名会社が購入して、三井別邸として来客の応接等に使用していましたが、昭和11年(1936年)12月に、この別邸の隣に新館を新しく建設して「三井別邸新館(現在の知事公館)」と称しました。
戦後、三井別邸は、一時米軍に接収されましたが、昭和27年(1952年)に札幌市の所有となり、昭和28年(1953年)、現在の道庁周辺にあった道有 地と交換し、道の所有となりました。以来、三井別邸の新館は「知事公館」として会議や行事に広く使われ、また見学等にも利用されています。
なお、森源三氏の邸宅であった三井別邸の旧館は、昭和28年(1953年)に取り壊され現在は残っていません。
知事公館の構内は、昭和47年(1972年)3月、北海道自然保護条例(現北海道自然環境等保全条例)により、敷地のうち27,700㎡が「環境緑地保護地区」に指定され保護されています。
昭和57年(1982年)9月からは、同構内北側の一部12,827㎡が公開区(小公園)として開放され、昭和58年(1983年)7月には、道立三岸好太郎美術館もオープンし、近隣の道立近代美術館と併せて道民の憩いの場として親しまれています。
引用 http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/tsh/koukan/yurai.htm